須川信行・渡邉男爵・北小路子爵色紙 倉橋泰昌舊藏

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【書名】 須川信行・渡邉男爵・北小路子爵色紙 倉橋泰昌舊藏
【巻冊】 三枚(倉橋泰昌筆の袋入)
【成立】 明治期

★ 倉橋泰昌 生没年:1876-1919
父:倉橋泰清
陸軍歩兵中尉
1910-1919 子爵
妻:尾崎賀子1886-1914(父:尾崎三良)
1903- 美佐子
★ 須川信行(すがわ のぶゆき、天保10年10月25日 (1839年11月30日)- 大正6年(1917年)11月13日)は、江戸時代末期・明治時代の歌人、医師。宮内省御歌所寄人(よりゅうど)、『明治天皇御集』の編纂委員を務めた。
★ 天保10年10月25日(1839年11月30日)に近江高島郡西万木村(現滋賀県高島市)の医師清水玄孝の次男として生まれ、19歳の時に御所出入り医師須川覚性(須川検校)の養子となった[1]。医業を修める傍らで早くから和歌に興味を覚え、香川景樹の高弟で故郷高島出身の歌人渡忠秋に入門し、同人死去後小出粲に師事した。養嗣子鶴吉に医業を譲り自身は歌道に専念し、明治23年(1890年)宮中御歌会始の勅題詠進歌『いにしへに 照して今を仰ぐにも  余るは国の光なりけり』が入選した[1]。常葉園と号した。
★ 渡邉清(男爵)(わたなべ きよし、天保6年3月15日(1835年4月12日) - 明治37年(1904年)12月30日)は、江戸時代末期の大村藩士、明治時代の官僚、政治家。元は諱を武勝、通称を清左衛門と名乗った。号は東山。
福岡県令、元老院議官、貴族院議員、福島県知事を歴任した。また華族に列し、男爵に叙された。
江戸城総攻撃予定日の前日に、英国公使ハリー・パークスと会見し、パークスが江戸攻撃には反対である旨を西郷隆盛に伝えた(江戸開城)。
★ 北小路隋光 公卿。京都生。本姓藤原、通称左京権大夫。説光の子。東京住。神宮大宮司兼権中教正に至る。正二位子爵。大正5年(1916)歿、85才。藤原北家日野流の公家。家格は名家。江戸時代中期の中務大輔三室戸誠光の次男徳光を祖とする。江戸時代の家禄は御蔵米30石[1]。明治維新の後、随光が子爵に叙せられた。資武は柳原白蓮(燁子)の最初の夫であり、2人の間には功光が生まれた。 
★ 倉橋泰昌 生没年:1876-1919
父:倉橋泰清陸軍歩兵中尉 1910-1919 子爵


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